2010年06月01日

華会誕生密話(赤カブの思い出)

今から10年前。。。
高山市が、中国雲南省と姉妹都市を結び2001年、訪中団と共に「交流員」が来ました。
        ↓
http://www.htia.org/j/reikou/index.html
その時、市内の西小学校でPTAの役を赤カブがしたのがきっかけで「学校交流」のお手伝いや市内に在住する中国人研修生との交流「日中交流クリスマス会」などへ参加した事で、以前「中国語を学習した経験」を思い出しどんどん中国熱に火がつき始めました。
その内、在住している研修生だけではなく「花嫁として来たお嫁さん」の存在が分かりました。2004年夏の事です。
その頃、交流員の開催する「中国語講座」に参加していた赤カブは仲間と「市内在住の外国人に何かをしたい!」と「飛騨ママ倶楽部」の活動を始めました。
福祉センターで、毎週交流会を開催、主に研修生が参加していました。
その中へ、隣の町から。。。またその隣の町から。。。とお嫁さんが参加するようになりました。その時期。。。
「ママ倶楽部」は愛知万博にて「ソムニードさんの通訳お手伝い」をしました。以来、ソムニードさんとの関わりが復活したのです。(ソムニと赤カブは次回に。。。)
ところが、「ママ倶楽部のメンバー」に家庭の都合で活動出来ない人が出てきました。
残念ですが、休止状態へ。。。
その間、聞こえてくるのは「お嫁さん達の声」
「家から出られない」「日本語が通じなくて、毎日泣いている」
「友達がいない」「話しが出来ない」「わからない」
「ノイローゼになって、国へ帰った」
「家族もどうしていいかわからない」「日本語を教えてほしい」
などなど。。。
赤カブの知人(中国のお嫁さん)からの声なので、聞くとその人の家へ向かっていました。
飛騨は山間部で、一つの集落に1人から2人の割合で「お嫁さん達が来ていました」
それは、一つの部落に1人 実際に隣の村にいるお嫁さんでも、知らないことが多く。。。
顔を合わせても「誰?」と言う感じでした。
初めに訪問したお嫁さんから、また次のお嫁さんへと紹介が続き。。。
山の中を一軒づつ訪問する「活動」が始まりました。
赤カブを頼って伝わる「声」を聞くと、待っていられません。
とにかく、顔を見て、話を聞かなくては〜!
その一心でした。
1人で活動している限界を感じた頃、ソムニードさんへ寄る機会があり
「それらの経緯を話す」と「それなら、この文化センターでサロンを開けば?」と提案とアドバイスを受けました。



続きを読む
posted by 華会通信 at 01:23| Comment(0) | 赤カブよもやま話し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。